手記提供
「障害を持つ子を産むということ」 19人の体験
中央法規出版 1800円
衝撃と混乱の中で迎えたわが子の誕生を、親たちが語る体験集
推薦 柳田邦男氏(ノンフィクション作家)この画期的な虚飾なき体験集は、
読むものに生まれた命のいとおしさを気づかせ、障害をもつことへの意識革命
をもたらすだろう。特に若い人たちに、そして医療者にぜひ読んでほしい。
手記提供
「障害を持つ子が育つということ」 10家族の体験
中央法規出版 1800 円
この子はつながりの中で生きていく・・・
障害をもつ子との日常を親たちが綴った手記集
貴大と共に ―ぼくのためにありがとう―
稀少難病で6歳で亡くなった長男貴大との6年間の闘病生活を
綴ったものです。
限定300冊自費出版したものですが、在庫がほとんど残っておりません。
出版社より再出版のお話もありました。経済的なこともありましたが、以前より同じ病気のご家族の方からのお問い合わせをいただくことがあり、親の会の方の参考になればと思ったことと、3人の方の後押しがあり、その中のお一人、私のクライアントさんの一言でブログ上で公開することにしました。
私は10年ほどカウンセリングの仕事に携わってきましたが、私自身もインナーチャイルドの問題を抱えていたことから、それを克服していくことの難しさを痛感していました。
一つのテーマを克服するのに何年も何年もかかりました。
そうやって、気の遠くなるような時間とお金をかけて、やっと克服したというのに彼女は、貴大の本を読んだだけで「子どもをもってみたいと思った」と言ったのです。
私は今迄何をしてきたのだろうと、落ち込みました。
でも、反面、たった数時間で、思考がシフトできるのなら・・・と思いました。
闘病記ですからシビアでハードな内容もあります。
その中にどうやってインナーチャイルドの癒しを見つけられたのか・・・どの箇所がそうだったのか私にはわかりませんが、何か感じていただけたとしたらこんなにうれしいことはありません。
<出版社講評より一部抜粋>
「貴大と共に」は、障害や難病を持って生まれた 長男・貴大君の在りし日々を記録した闘病記である。
入退院を繰り返し、骨髄移植の最後の望みをかけたものの幼くして神に召されたわが子への想いに溢れ、親子三人で 過ごした濃密な時間を余すところなく綴って強く心に残る。
貴大君の成長を記録した大学ノートを積み上げると、二十センチにも及ぶとのこと、それがそのまま闘病記録となっているという事実に親子の置かれた状況の深刻さが窺える。
しかし、ここには短くはあったが、両親から溢れんばかりの愛情を注がれた貴大君の生涯、その確かな成長の跡が写し取られている。子育ての原点に触れて示唆するところも大きく、様々な面で 考えさせられるものがある。
ふかい苦しみや癒えることのない喪失感の中で書かれた言葉で あるが、輝きは失われず「障害を持って難病を抱えて生まれて きたことは、ある時期苦しかったけれど、それは決して不幸な ことではなかった」(【お礼にかえて】より)との著者の想いが、読むものの心に伝わってくる。
昭和62年3月、待望の長男として生まれた貴大君は、両手第一指欠損・内反手・両手指関節校縮症、左手の関節が わずかに動く程度でその他の指と右前腕の機能は全廃という 状態だった。
両手の障害があることを知った驚きと、苛酷な人生を背負わせて しまったという自責の念に駆られた出産時の想い出に始まる筆は、その後もわが子の辛く厳しい難病との闘いを 綴っていくこととなる。
食道、心臓、気管支と次々に症状が発見されその都度通院や入院を 繰り返した。その詳細な記録は、心を砕いて子育てにあたる両親と 障害や度重なる治療にも弱音を吐かず、懸命に生きる貴大君の姿を印象付ける。
好奇心旺盛で「指の代わりになる所はどこでも使って遊び」(p68)、言葉の発達もずば抜けて早い聡明な子どもだった貴大君。障害をしっかり受け止め、「お手々は曲がってるけど、ぼく、何でもできるんです」(p102)と、大人に堂々と言ってのけたエピソードには感銘を覚えた。
そんな貴大くんの個性を早くから見抜き、可能性を信じてチャレンジしていく両親の姿も印象的である。
例えば、【生後六カ月半、言葉を話す】(p30)、【この子はほめて育てよう】(p48)などからは、子育ての何たるかを 教えられる思いがする。
貴大君を育てる中では、【一人歩きを始めるようになると】(p39)にあるように、 周囲の不躾な視線に晒されたことも数知れない。が、その体験を通じて著者は 、「障害は決して差別されるはずはなく、恥じることでもない」(p41)と確信する に至る。
わが子の苛酷な人生を共に生きようと、理不尽な現実と闘い続ける母の姿に、子育てとはかくも人を強く成長させるものなのかとの思いを新たにした。
父親の存在も大きく、わが子の成長を共に喜び、共に苦悩する包容力のある様子が心に残る。
保育園や幼稚園に元気に通い、素直さと物おじしない性格を発揮して活発に友達と 遊ぶ貴大君に胸を撫で下ろしたのも束の間、重症の感染症を繰り返し、更に追い打ち をかけるようにファンコニー貧血との診断が下される。(p111)
これ以降、骨髄移植を考え始め紆余曲折を経てT大学病院での移植を決断するに至るいたるまでの両親の迷いや苦悩、苦しい治療を耐える貴大君の健気さが綴られていき、最後の治療となった 骨髄移植と貴大君との別離へと続いていく。
葬儀を終えて骨髄移植を担当した医師との面談を経た後、「貴大には最高の医療を受けさせてあげることができたと信じている」(p268-269)と、結果を受け入れる心境になれたとのこと。
6年8ヶ月の闘病生活、貴大君を失った哀しみを言葉に置き換えていく作業は辛く、苦しみの多いものだったと推察されるが、筆致は抑制が効いており、書き手の思いを明確に伝えている。
「切迫した命を目の前にしている家族にとって、倫理上の問題がどれほどの説得力 をもつのだろうかと思う」(p164)、「障害や病気を抱えた子どもは、成長の過程で 独特な育ち方をするように感じる。私達は貴大を過保護に育てた。そうしなければ 生命をつなぎ止めることができなかったからだ。」(p290)等、忘れ難い言葉が随所にある。
著者は現在、パステルアートの教室を開いており、貴大君への想いをテーマに した絵に短歌、俳句を添えた作品を手掛けている。四季折々の風物に心を寄せながら紡がれた句や歌からは、貴大君への尽きることのない愛惜の念が看取される。
パステル画の優しい色遣いで構成された画面は透明感に溢れている。句歌のまとう 、切なくも温かい空気とよくマッチしていると感じた。
一方、「貴大と共に」は、平成5年に書かれたものであるが、痛切な内容ながら 今なお色褪せない輝きを持っていると感じた。闘病記としてはもちろん、子育てや 親子愛などにも示唆に富む。
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